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2018-11

東京ドキュメンタリー映画祭

期間 12月1日~14日

会場 新宿K’s シネマ

荒井知恵監督、池田爆発郎監督、若見が制作した『Birth-つむぐいのち-おどるいのち(選)』(東京ドキュメンタリー映画祭特別セレクト)が上映予定です。映画祭唯一のドキュメンタリーアニメーションになります。

『Birth-おどるいのち』

ドキュメンタリー作品をアニメで制作するのは、日本では中々難しい。テレビ局の報道部のスタッフがドキュメンタリーは実写と思い込んでいるか、アニメは子供番組と思いこんでいるかの何方かもしれない。

我が国のドキュメンタリー番組で最初にアニメで制作したのは、ひょっとして日本テレビ報道部で、牛山報道局長時代に月岡貞夫氏が制作した作品ではないかと思います。

若いアニメ評論家、映像評論家の方は、確認をお願い致します。

外国では、ドキュメンタリー作品をアニメーションで制作することが多々あるようで、イギリスなどはドキュメンタリーアニメを多く制作している国の一つではないかと思います。

先日のWOWOWで放映されたドキュメント作品ではありませんが韓国作品も、日本の可愛いキャラでは無く、アジア人特有の細い一重の目の青年男女が主人公で、デモあり強姦場面ありのリアル・アニメーション作品で、子供向け可愛いキャラが氾濫する日本のアニメ市場とは異なるアニメーション市場を開拓、模索しております。

画像は東京ドキュメンタリー映画祭のホームからお借りしました。

「大堀相馬焼167のちいさな豆皿」

期間 11月27日~12月22日

会場 クリエイションギャラリーG8

これは見に行けない人にも買えるように、ネットで注文出来るようにしてもらうと嬉しいのですが。

この反対意見に、ネットで買えるようになると会場に人が足を運ばなくなる恐れがあるという考えがありますが、御心配ありません。現物を見て買いたいというお客が、ネット販売、テレビ通販が拡大しても、必ず居ります。

チラシ-1

その人たちはただ商品を買うのでは無く、恋人や妻、夫、親子、友人達と会場を見た後、他の買い物や食事など街を楽しみたいと思っている人達です。

また、会場での子供達のワークショップもあり、それらの関係者で会場は混みますし、その作品も買えるようにしたら、ワークショップの子供達も集まり、売れる作品を作ろうと張り切りますよ。

 

川勝徳重著『電話・睡眠・音楽』(リイド社刊)

川勝さんは、夏目房之介さんの教室にもぐりで受講していたようです。

「著者解題」のインタビューの中に、私の1973年刊『夜行』に書いた『鱗粉』のコマ割りを参考にしたと出ております。

『鱗粉』は、双極性障害の母と暮らす青年の苦悩を描いた作品で、現在の介護の問題に通じる内容となっております。狭い一部屋の中での母と息子、その葛藤のコマ運びに注目したようです。

表紙-1

推薦者、小西康陽氏は、「この作品にふさわしい言葉をようやく思い出しました。ヌーベルバーグ。それです。」と帯に書いております。

第12回文化庁メディア芸術祭審査委員会推薦作品です。

手に取りたい方は、こちらです。

没後十年 小川国夫展―はじめに言葉/光ありきー

期間 10月13日~12月1日

会場 日本近代文学館

小川- 2

小川さん、イケメンですよね。当時の新劇俳優と紹介しても不思議では無いです。邦画初のガラス越しの接吻『また逢う日まで』で主演を務めた俳優、岡田英治さんとも似たところが在りますね。

敗戦時18歳ですから、多感な青春期とぶつかりますね。

 

「矢来町のたからもの」―佐藤俊夫新潮社元会長旧蔵資料の輝きー

期間 10月13日~12月1日

会場 日本近代文学館

矢来町-1

長い歴史をもつ出版社「新潮社」は佐藤俊夫によって創業され、雑誌「新潮」は今日に至るまで多くの名作を生み出してきました。「矢来町」は、日本の近代文学とつながりの深い新潮社の、大正二年からの所在地です。「矢来町」の名から、誰もがこの出版社の名を思い浮かべるでしょうと、本展編集委員の中島邦彦氏は書かれております。

あの頃の、あの通りは素敵でせう。箪笥町などの名があります。当時を散策したいですね。

おとうさんの絵本『大連のうた』

期間 10月30日~2月2日

会場 平和祈念展示資料館

川崎さんは1932年に大連で生まれ、14歳で日本へ帰られた。もう子供時代の思い出は、中国にあると言ってよいです。

私は二歳の引揚げですから、中国の記憶はありません。ありませんが子供の頃、童謡『ペチカ』を聞くと、異国情緒に浸れて好きな童謡でした。雪が多い北海道や東北の歌かと思っていました。

詞の後半に「くりやくりやと」ありますが、此処で胸がキュンとなります。

チラシ-1

大連は一度、お伺いしました。大連駅、レンが造りの警察署や市役所、大和ホテルなど、中国の方は残しております。頭が下がりますね。

明かりのともった夜の大連市を外務省のお嬢さんと歩きましたが、美しい街です。冬でしたら、童謡『ペチカ』を口ずさんでいた事でしょう。

川崎さんの絵は、しっかりした記憶ではありませんが、見たことがあります。この絵も童謡『ペチカ』と同じように、胸がキュンとなります。

47歳で亡くなられたのですね。大連時代の子供の遊びなど、聞きたかったです・・・・。

小幡欣治・作『喜劇 有頂天団地』

期間 12月1日~22日

会場 新橋演舞場     チケット購入はこちら

渡辺えりさんが出演します。来年から南座でも公演です。

喜劇と団地が出て来ますと、平成生まれの私としては、大ヒットシリーズ喜劇『駅前団地』を思い出します。

地主役の伴淳三郎さんが上手い。土間に住宅公団の人や大手不動産業者が土下座してひれ伏す中、囲炉裏の傍で伴さんが「かぁーちゃん、シテレオかけて」と言います。「ステレオ」がなまって「シテレオ」と言うところで、館内のお客がドッと笑います。

この頃、ステレオ蓄音機が流行ったのですが、団地建設に沸く都市近郊農家の伴さんも農地を売ってお金がたんまり入り、当時、高価なステレオ蓄音機を買ったのでしょう。この近郊農家の20年後を描いたのが、立松和平原作、根岸吉太郎監督の名作『遠雷』です。シナリオが荒井晴彦さんで、彼の監督第一回作『身も心も』のポスターを私は描きました。

チラシ-1

喜劇映画の他の傑作には『三等重役シリーズ』がありますね。
中央公論の粕谷さんの著作の注に、敗戦後間もない電車の中で、男同士が口喧嘩を始め、それを聞いていた男が「戦争に負けた三等国民が電車の中で喧嘩か、みっともないから止めろ」と怒鳴り、車内は水を打ったように静まり返ったと書いてありました。
敗戦後、生き残ったのは三等国民で、その国民が作ったのが三等会社で、その重役が三等重役と言うと、故筑紫哲也さんが『NEWS23』で語っておりました。

今の電車は一等車両、二等車両、三等車両と言う区分けはしていませんが、経済大国ランキングで現在3位ですから、三等物もリバイバルしても良さそうですが・・・。グローバル化に消費税。少子化に移民問題と、三等会社が右往左往する喜劇です。

ドリフターズが出てくる辺りまで、大宮デン助さん主演の『デン助劇場』をテレビでやっておりました。
今はドリフターズの志村けんさんが、深夜のテレビで、中華屋の前で仕事は忘れましたが店を持っている役で頑張っております。
志村さん、代替わりする奥さん役が皆、若いのがちょっとね。たまには年上の奥さん貰いなさいよ。デビ夫人なんかどうでしょうか。落語『たらちね』になりますかね。

『1968年 激動の時代の芸術』in 千葉市美術館-2

色々な芸術運動が展示されておりますが、私が当時、見聞きしたアートに絞り、お話を進めさせて頂きます。

ヒットラーや世の為政者が大衆操作に重要と考えていたのが「映画」なのですが、60年代になると「テレビ」が新しいメディアとして力を持ち始めます。 佐藤栄作さんなど記者会見の席上、活字メディアの記者をフェイクと言い退席させ、後ろに在るテレビカメラに向かって所信表明を述べました。

現在も似ております。

漫画主義-1

漫画なども大衆の興味を引く表現物です。活字本は読まないが漫画本は読むと答える人は今も多いのではないでしょうか。うーん、今はスマホで読むかな。
三島さんの文章の中に近未来の小説について語ったものがあり、当時、読んでいて悲観的な文章に驚いた事がありますし、また私も、出版社の人から「小説は駄目でしょうか?」などと質問された経験があります。出版社のオーナーであれば、どちらも本には変わりは無く、出版の新しいジャンルと捉えることが出来るのですが、小説などの言語に携わっていた出版人にはテリトリーが侵される危機感があったのでせう。漫画が小説に取って代わると思われていた時代でした。

ここで登場するのが「××評論家」と言われる人達です。混乱して頭を抱える人に、その運動やメディアを分類し、名前を付けて標本箱に納める仕事をする人達で、鳥瞰的に捉えれば、不安感は減る事はあっても増すことは無いでしょう。

『漫画主義』なる評論誌が登場します。時代をえた雑誌で、さすが石子美術評論家に高野さん達です。これが本格的な漫画評論の評論家と雑誌の誕生ではないでしょうか。

キャチコピーが秀逸です。「戦後20年 泣かずに来たが、漫画にうずめたこの願い 主義を背負って 今 泣いた」上手いでしょう。誰が考えたのですかね。このコピーの「漫画にうずめたこの願い」の一文を、今も貸本漫画研究の高野さんや他の評論家達は続けております。

また前回で載せた高松次郎さんの漫画論文作品なども、上記の評論家と歩む道は同じで、拙著『Ph4.5 グッピーは死なない』『夢枕』や60年代から80年代に渡る漫画作品も同じだと考えます。

このポスターが大判で立派です。しかし当時の新しい演劇スタイルの『天井桟敷』に『唐組』なども、私も描きましたが贅沢なポスターを作っています。ねぇー、ポスター・ハリス・カンパニーの笹目さん。

私-2

私も、演劇ポスター『怨霊血染めの十字架』劇団発見の会と漫画作品を出品しております。この演劇ポスターも、シルクスクリーンで仕上がっておりますが、刷り師の方が怖い方でした。印刷原稿の作り方などを教えて頂きました。色が褪せておりません。流石です。
『ガロ』の表紙を集めて展示しても面白かったと思います。

裸-3

パフォーマンスも当時、流行ったものです。絵画とパフォーマンスは、江戸時代に北斎が浅草寺境内でやっておりますし、露天商が何を売っていたのか記憶にありませんが、龍などを平筆でスラスラ描くのを感心して見ていたのを記憶しておりますから、アクション・ペインティングは日本の伝統芸です。

原平さん達のハイレッドセンターなども、パフォーマンスを街中で繰り広げております。舞踏家の巨匠、土方巽さんも野外で舞踏を展開しておりますし、全裸で踊っております。

舞踏家が裸で踊るのは、何か衣装をまとうとイメージや意味が付き、純粋な舞踏から解釈がズレてゆくからです。舞踏『ボレロ』で名高いモーリス・ベジャールさんも、ダンサーの衣装について厳格な認識をしておりますし、私も70年代に田中民さんの舞台と衣装を担当した折、同じような問題で迷った経験があります。

『万博粉砕共闘派』のパホーマンスです。男のお尻は顔から想像が付かない可愛いさがあります。

裸-4

また『もの派』の言葉を借りれば、チリや埃を洗い物そのものにすれば、見えなかったモノが見えてくるから、人間も衣服を脱げば本来の人間が現れるは当然であり、『万博粉砕共闘派』のパフォーマンスはこの後、欧米社会では『性解放』へと向かうのだが・・・・。

日本も性解放へと向かい『わいせつ物』が粉砕され無くなるかと思われたのだが・・・、その後の日活ロマンポルノ、それに私の『夜にほほよせ』などの映倫審査を体験した者としては、性解放は無かったと考えるのが妥当であり、若松プロデューサーによる大島渚監督の『愛のコリーダ―』もしかりである。

万博-5

『日本万国博』のデザインは福田繁雄さんです。

当時の性解放の欧米をエッセイに残したのは横尾忠則さんであるが、私もポルノ解禁のフランスを訪れる機会があった。

ドゴール空港内の書店が無修正ポルノ一色に染まっているのを見て、驚きと共に性解放など無い国の男性観光客が群がっている光景に可笑しみも感じた。また、空港内の大きな壁面に、横長の大きな広告ポスターが貼られてあり、記憶が曖昧だが、黒人青年が全裸で毛皮の敷物の上に横たわる写真で、その前を若い女性がカートにトランクなどを乗せ、そのトランクの上に女の子を座らせ、カートを押す母親の後ろから低学年の男の子が付いて行くのが目に留まった。この風景を写真に取ればピュリッツァー賞が貰えるかもしれないと思ったのを覚えている。

あー、欧米は性解放したのだと、強く感じた。時代が変わった実感は、前の時代も体験してないと判らない。性解放時のドゴール空港の風景を、今のフランスの青年達は知らない。むしろ性解放やフリー・セックスといった言葉から想像というか妄想を膨らませた発言が目に付くし、性解放と女性解放は当時、同列にあり、重なる部分があったのだが、語るのが男性だから、女性解放がすっぽり抜けている。

無修正ポルノ映画『私は好奇心の強い女』を作った国だから、スエーデン人は皆、乱交しているだの、スエーデン女性は性に理解があるから、頼めばすぐホテルへ行く事が出来るとか・・・・。

しかし上記の舞踏など、歩行者天国で裸で踊れば捕まるし、私が映画『書を捨てよ街へ出よう』でデザインした男性器のサウンド・バックなども、公然わいせつ罪で劇団員は捕まってしまう。こうなると出版も自主規制に走り、私が描いた『里見八犬伝』も、獣姦場面を描いた訳でも無いのに犬と交わるのは駄目だとなる。

規制だらけで自由が感じられない息苦しい社会となってしまうのだし、性解放になっても他の流行と同じく、数年もすれば現在の肉食女子と同じで忘れさられてしまうのだから、性解放だから無秩序な性交渉が行われ社会が乱れると思うのは短絡的な考えで、今から思えば皆が忘れずに性解放に励めば、少子化にならなかったかもしれないと言う事も出来るのだ。

鈴木慶則さんの『風景の交響楽』です。収蔵先の静岡県立美術館の解説によると、ジョルジオ・デ・キリコが描いた絵画のモチーフが写され、もう半分にキャンヴァスの裏側が描かれている。いわゆる名画の原物の鑑賞価値は剥ぎ取られ、とり残された図像のイメージが、キャンヴァスの裏地と同等に、作品の一部を構成する素材として扱われている。とある。

鑑賞価値はと穏便だが、最近、一億円で落札された自らの絵を、シュレッダーのように裁断してしまうアーティストの表現行為に近い解説だ。キリコの模写が半端ない。キリコより上手いかもしれない。

キリコ-7

鈴木さんとは、石子さんと一緒にお会いした事があります。
確かその時の紹介が「我が国のダリの模写では第一人者」と聞いた記憶が残っておりますが、その後、私の記憶に間違いが無ければ、宮本三郎さんの戦争画『山下、パーシバル両司令官会見図』を、画廊の天井には上から見た絵を、床には下から見た絵を、左右の壁には其々、左右から見た絵を描いた個展を開いたと聞いております。

ダリの模写が出来るのだから精緻な写実はお手の物だと思うが、山下司令官の靴底の減り方の研究など、山下司令官について書かれた書物を読み込み、リアルな立体再現を頭脳でおこなう鈴木さんに舌を巻いた記憶がある。

『山下、パーシバル両司令官会見図』を元に展開したこの作品展は、確認が出来ないと正木さんから連絡が入りました。鈴木さんが『山下、パーシバル両司令官会見図』からえた次回作の構想として評論家に語ったのが流布したとも思えます。

グリコ-8

グリコの看板絵を模した、秋山祐徳太子さんのパフォーマンスです。この格好で都議選へ立候補したのですから、可笑しい。

本人の話によると、都議選中、選挙カーを走らせていると、同じく都議選へ立候補している右翼の著名人、赤尾敏さんと、銀座の真ん中で出会ってしまい、赤尾さんから「秋山候補、ご苦労様です。どうですか、骨休めに珈琲などをご一緒しませんか?」と声をかけられてしまい、グリコの格好で都議選立候補者、秋山祐徳太子と書いたタスキを肩からかけ、銀座の喫茶店へ入り、右翼の著名人、赤尾敏さんと共にお茶、したそうです。

娑婆留闘社-9

『娑婆留闘社』発行の獄中犯罪者との交流絵葉書です。
松田さんが言い出して、原平さんと私が葉書の絵を担当しました。この絵に描かれている拳銃は、当時、連続射殺魔と恐れられた永山則夫が実際に使った手製銃です。
この絵を見た永山は「この絵を描いたのは誰だ。何で使った拳銃を知っているのだ」と不思議がったと聞きました。

何故、描けたか。こう素直に驚かれると、画家、冥利に尽きます。ふふふふ永山君、表現は網に残り美味しく焼けた餅。犯罪は網から落ちて火の中で真っ黒になった餅と、文豪、三島由紀夫は言っております。監獄より娑婆の方がずっと怖いのだよ。

隣の手ピストルの絵は、原平さんが私の漫画のペン画を真似して描いたのではありませんか。私のサインと母印が手の下に在りますが、私が書いた記憶がありません。

無知-10

連続射殺魔、永山則夫が、獄中で古今東西の名著を読み、書いた『無知の涙』です。文芸評論家の柄谷行人さんが、この本を高く評価しております。

フランスなどでは『泥棒日記』を書いた同性愛者作家『ジャンジュネ』が居りますが、永山則夫は日本版『ジャンジュネ』になるのかと見守るうちに、刑は執行されました。

装丁は赤瀬川原平さんです。

法廷-11

これは、赤瀬川原平さんの『千円札裁判』の法廷写真です。舞台の様で面白いです。裸にトイレットペーパーを巻いたオブジェ作品が在りますが、それが裁判中、法廷内を動き回ったそうで裁判長から「動かないように」と注意を受けたそうです。傍聴していた人達は、思わず笑いそうになったと、裁判を見続けた高野さんは語っておりました。

原平さんが0円札を描いて偽札製造犯人として裁判にかけられました。犯罪か芸術か、現在も過激な路上アーティストなどは、境界線上の表現を確信犯のように狙って制作活動をしております。

『0円札』は今後、外国で色々な表現として展開すれば、原平さんは、欧米芸術家を追い抜き、トップに立つ可能性がありますね。その予兆の様な事がもう、外国で起こっているのではないでしょうか。

千円札裁判の被告人弁護をかって出た滝口修造さんから、ピカソから貰ったオリーブの実を頂いたことがあります。実からオリーブの木を育ててみても良かったと思っております。

「掲載の1968年展会場写真は、千葉市美術館の許可を得て撮影・掲載したものです」

美術館のホームです。サイケのディスコ再現は終わったようですが、観に行かれてはどうでしょうか。

『1968年 激動の時代の芸術』in 千葉市美術館

仕事が忙しく、オープニングの日に伺えなかったので、正木美術評論家と一緒に改めて拝見しに千葉市美術館へ足を運びました。

チラシ-1

正木氏の提案で、「新秋津駅」で待ち合わせです。この駅の周辺は、懐かしい店が残っています。
ほら、フィリッピン・パブなんかが、まだ在ります。「あんたお金ない。無い人ダメよ」なんて一時、さんまさんがモノマネしておりました。
スナックと名を変えておりますから今度、入ってみましょうか。パブと違いますかね。

パブ-2

千葉市美術館へ着きました。古い洋館を建て直しております。古カフェがブームですが、古さを新しく作るのは難しいです。
リニューアルする以前の東京ステーションホテルなど好きでしたし、赤坂プリンスも、建てた当時のレトロモダンな家具、調度品をそのままに使えば良いのにと思います。

入り口-3

新しいものも、いずれは古くなるのですがねー。

GUA発行の『美術ジャーナル』のポスター。田名網敬一さんのデザインです。故石子さんを始め、現在も活躍している作家の名が並んでおります。

美術-4

高松次郎さんが『サンデー毎日』に描いた漫画です。絵が描かれていない処がクールです。これを見た当時「やられた―」と思いましたね。

マンガ-5

高松さんの本業と言うのはおかしいですが、「影」を描く作家として有名でした。あの当時、漫画へも手を伸ばしていたのです。油断も隙もあったもんじぁありません、あの時代は・・・。

ハイレッド・センターのメンバーで漫画を描いて無いのは中西夏之さんだけです。原平さんも『ガロ』に『お座敷』を描いていますから、当時の『ガロ』は、漫画誌というよりアート誌のような側面がありました。

ドア--6

高松さんの影の作品です。壁と床の影は、違います。

貸本漫画から青年向け漫画が誕生し、青年漫画ブームが『ガロ』を先陣として若者に支持されてゆく時代ですから当時、少年漫画誌として発売部数100万部を超えた『少年マガジン』の突破記念広告が、デカデカと新聞の紙面を飾りました。横尾忠則さんにその記念として表紙のデザインをお願いするという、編集部もアートする時代です。

マガジン-5a

イベントも『マガジンVSガロ』などというトーク・ショーが組まれ、知らない内に私がガロ編集長の長井さんと列席するような告知がされたりもするのです。『ガロ』でしたら白土さんか水木さん、つげさんでしょうに、何で新人の私が出席しなければならないのか、少年漫画誌と青年漫画誌が何を語りあえば良いのか当時、さっぱり判りませんでした。

帰って-9

学生達が安保闘争を繰り広げておりましたが、ヘルメットに角材を持っているのが学生とは限りません。学生の分際で『帰って来たヨッパライ』を出し、ミリオンセラーの大ヒットを飛ばし、北山さんなどはテレビの番組を持つ時代になります。

東大ポスター-8jpg

この番組に、つげさんにマキさん、それに私などが出演しましたが、黙っていないのが東大生です。
大学生の雄といえば東大生だろうと、東京大学生がアートの土俵に上がりました。
駒場祭のポスターを当時、東大生でした橋本治さんが手がけ、東大生がイラストを描いたとマスコミの耳目を集め、注目の人となります。

警察-10

音楽業界も二匹目のドジョウを狙って在野の若者発掘に拍車がかかり、レコード・ジャケットもアートし始めます。
私も松本さん達のファースト・アルバムのジャケットを描きましたが、『頭脳警察』も三億円事件の犯人モンタージュ写真を使い、これもアートしています。

3人-7

モンタージュ似顔絵も、また多数の人の像を重ねると、意外と特徴の無い平凡な顔になってしまうのが、『Mr.Xとは何か?』です。柏原えつとむ、小泉博夫、前川欣三のお三方の顔を重ねた肖像画です。

私達は個々人個性がある様に思えますが、宇宙人から見ると、手足が四本に頭が付いた美味そうな生き物としか見えないかもしれません。

タイトルに激動の時代の芸術とありますから、お父さんからこの時代の事を聞いていた若い方は、其々、引っかかるところが多いでしょう。

当時、若者だった私も、霞んだ記憶を頼りに若い方へ、あの時代をつまらなそうに語るのではなく、どの時代も同じく表現は面白いと、伝えようと考えております。続きは次回へと致します。

『アンノウン・モータル・オーケストラ』のルーバン君のように、面白がって読んで下さい。

「掲載の1968年展会場写真は、千葉市美術館の許可を得て撮影・掲載したものです」

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