- 2023-05-31 (水) 14:00
- お知らせ
ウクライナのアニメ作家や映画祭関係者たちから、助けを求める声が届いております。
ASIFA本部では、ウクライナの人々、特にウクライナのアニメーション関係者と心を一つにするべく、公式サイト asifa.netに 2つの請願書を掲載しました。
アニメ、映像関係者で無くとも、請願書にサイン出来ます。
オタワ映画祭のディレクター、クリス・ロビンソン氏による請願書です。
https://asifa.net/international-animation-community-stands-with-ukraine/
このページ冒頭の、「SIGN THE PETITION」をクリックすると、以下の請願書サイトが開き、署名することができます。
ウクライナのアニメ協会の請願書ページです。
ウクライナを応援したい高校生もサイン出来ます。
ウクライナの平和の為、映画祭が2022年、ロスアンゼルスで開かれました。
ウクライナのための平和 – この戦争は悲劇です。この戦争は犯罪だ。この悲劇とこの犯罪は止まるでしょう。 (peaceforukraine.org)
International Animated Film Festival KROK – ホーム | Facebook
ロサンゼルスの MiMoDa Studioにて、2022年、8月26日、27日、28日の3日間上映されました。
各国で開かれる予定です。
ロシアのアニメーターがウクライナの平和を呼びかける(2月24日開始) – ASIFA
ロシアのアニメーターも、ウクライナ侵攻に反対しております。
ロシア国内、グチャグチャになってますね。
プーチンさんは欧米やウクライナのせいにしておりますが、ロシア国民の皆様、マヨネーズ料理に舌鼓をうつ閑が無くなるかもしれません。
ウクライナ、ドローンなど生産しておりましたが、戦車なども国内生産へと動くようです。
確かに、「この水鉄砲、前のより遠くに飛ぶけど、ロシア国内は駄目ですよ」などと言われて戦えと言われてもねー。
小泉さんが以前、アメリカとロシアに密約が出来ているかもしれないと言う発言をなされていました。
ロシア国にウクライナは攻め込んではいけない論が幅をきかせております。
防衛研究所室長の高橋さんは、その様な論でウクライナを批判するのはやめるよう発言しております。
ロシアに攻め込んで領土をとれば、和平交渉の時に侵略された土地との交換という交渉が出来るとも言っております。
イギリスもウクライナのロシア国内への攻撃を支持しました。
アメリカのお坊ちゃんはまだ、ビクビクしてますね。
プーチン政権内の動きを解説したアメリカ雑誌記事も、ロシア関連の記事を載せれば売れるだろう程度の内容です。
プリゴジン氏、ロシア国内を遊説中です。国営テレビには取り上げられていないそうですが、地元テレビでは流れているそうです。
これがロシア国内にどの様な変化を生み出しますか。目が離せないロシアです。
島崎藤村の世紀 ―〈編集〉する/される作家 春の特別展
会期 4月1日(土)―6月10日(土)
会場 日本近代文学館
島崎藤村の世紀 ―〈編集〉する/される作家 – 日本近代文学館 (bungakukan.or.jp)
「島崎藤村の世紀」と呼びうる時代がありました。
人々が「藤村の言葉」を借りて発言し、不安・喜び・怒り・希望を熱く語った時代のことです。
「藤村の言葉」は時に激しい批判にもさらされました。一方で焦燥にかられた若者が発語する支えとなり、獄中で孤独の底にいる人に立ち直りの機縁ともなりました。
1872年、木曾馬籠の庄屋・本陣・問屋を兼ねた旧家で生をうけた藤村は、昨年、生誕150年を迎えました。若き日の藤村が、北村透谷、星野天知、馬場孤蝶らと起こした雑誌「文学界」も今年創刊130年となります。
現在、「藤村の言葉」は、ともすれば忘却されつつあります。『若菜集』「破戒」から「夜明け前」に至る膨大な「言葉」は、現代の枠組みに収まらぬものを持っています。
本展は、〈編集〉という視点からその作品に光を当てる試みです。自伝的作風からとかく年代記的に語られがちな作家ですが、自ら自費出版で本を作り、旧友や父の遺稿集を編み、自分で全集も編纂しました。
現代はメディアによるエディターの時代とも呼ばれます。藤村の言葉を、「〈編集〉する/される」という視点から見ることで、「島崎藤村の世紀」を再認識する機会になれば幸いです。(本展編集委員 中山弘明氏の解説文より抜粋)
島崎藤村と言えば、私には物事への距離が絶妙に見える作家だと思いました。
現在のウクライナ侵攻が起こっているウクライナと日本の距離です。
その只中に居なくても見えて来るものが有ります。
当事者の発言が重要である事は変わりませんが、物事の中心に居なくともそれらの発言は意味があると思っております。
編集する側とされる側、面白い比較論です。
鈴木伸一 アニメと漫画と楽しい仲間
鈴木伸一 アニメと漫画と楽しい仲間 « 書籍・ムック | 玄光社 (genkosha.co.jp)
アニメーション作家の鈴木伸一氏は、トキワ荘で若手漫画家たちと交流しながらアニメーターの道に進み、90歳を迎える現在も新作づくりに取り組んでいます。
本書は藤子不二雄作品に登場する「小池さん」のモデルとしても知られる鈴木氏が、自身の活動や仲間との出会いと交流を語ったエッセイです。
アニメーターとしての鈴木氏に大きな影響を与えた3人の恩人、手塚治虫・横山隆一・中村伊助のこと、素人の状態から試行錯誤しながらアニメ技術を磨いたおとぎプロの時代、トキワ荘の仲間だった藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、つのだじろうらとアニメ制作会社スタジオゼロを立ち上げた時の抱腹絶倒の出来事など、アニメ界の重鎮だからこその貴重なエピソードが、これまた貴重な写真や資料とともに披露されます。
また、鈴木氏はいかにして「小池さん」になったのか、その誕生秘話も貴重です。
鈴木さんとはヨーロッパ旅行でご一緒しました。
性開放の時代ですから、私に近づいて来て、無修正のポルノ動画を買いたいが、どうすれば良いか尋ねてきました。
ポルノ店が並ぶ一画をザッと見学して、ホテルへ帰ろうとした時、鈴木さんは私に近づいて、ポルノ作品を買うから付いて来てくれと、私の背中を押して戻ろうとした時、案内していたスイス銀行の秘書課に勤める女性が「ポルノ街へ行っては駄目です」と皆を制しました。
凄いですねー、この一言で後ろ髪引かれる男性たちはピタッとポルノ街へ向かっていた足が止まったのです。
処が鈴木さんは私の背中を押して、彼女の静止を物ともせず歩き出しました。
私はしょうがなく皆の方を振り返り、私達はもう一度ポルノ街を散策しますと歩き出したのですが、恥ずかしかったですねー。
でも仕方ありません、鈴木さんはポルノの画像作品を買いたいのですからと二人で歩き出しますと、「ジャパニーズ・す・け・べ」と声が飛んできました。
どうもヌードの男女のライブショーを見せる劇場の呼び込みの様です。
鈴木さんは乗り気です、是非見たいと案内の男性の後を追って店に入って行きますから、私も鈴木さんの後について店に入りますと、劇場は円形の舞台を取り囲むようにして座席が並んでおりました。
私は後ろの席に座ろうとしましたが、鈴木さんは一番前の席に座ろうと言うのです。困った鈴木さんです。子供の様に無邪気なのですから・・・。
仕方なく、一番前の鈴木さん隣に腰掛けましたが、ショーが始まると全裸の女性が私達の席へ向かって歩いてくるのです。
おいおい、冗談だろーと顔を背けておりますと、私の隣に座っているドイツ男性の膝の上に座り、彼のネクタイをほどき始めました。
私の心臓は口から飛び出しそうになっておりますが、鈴木さんを見ると面白がっている様子です。
以前、このブログに書きましたが、『日劇ミュージックホール』が閉店する新聞記事を読んで、銀座へ出たついでに見ておこうと、友人と劇場を訪れたのですが、この日は前日、一睡もせずに仕上げた仕事を『日生劇場』に届けた帰りですから、体は早く帰って布団にもぐり込みたい程、睡眠を求めておりました。
劇場に入り一番前の席に着き、ストリップダンサーの踊りが始まる頃に私は深い睡魔に襲われ、椅子の背を枕にして寝込んでしまいました。
これではダンサーが怒るのは当然です。舞台から降りて来ると私のひじ掛けに足を乗せ、踊りで鍛えた太ももで私の頭を挟み、スパンコールの衣装を私の顔へ音楽にのせてグリグリと押し付けたのです。
スパンコールの衣装は金属製ですから肌にあたると痛いです。痛いから目を覚ますのですが、また睡魔に抱き寄せられると深い眠りに落ちて行きました。
これをきっかけに、舞台に上がったダンサー達から総攻撃を受けます。楽屋に戻ったダンサーが楽屋で「あのガキ、寝たけりゃ家へ帰って寝ろ。私の踊りは眠気を覚ます程のエロティクな踊りなのに、あいつはまだガキだね。ママのオッパイでもしゃぶっていろ」と、舞台メーク用のパフで顔を叩きながら言っていたに違いありません。
それでも一番前の席で寝続けた私も私ですね、立ち上がって劇場から出て行く気力もわかない程の睡魔です。場内、ダンサーと若い私との戦いに、後ろの席のオジサン連中からヤジが飛びます。「若いの、俺と席を代わってくれ」とヤジられると場内、大爆笑になります。
こんな経験が20 代に有りましたから、この隣のドイツ男性の次に私に何か仕掛けて来そうに思えて、もう、じっと座っている我慢の限界でした。
そこで私は席を立って後方の出口へ向かったのです。
その後、鈴木さんがどうなったのか、今もって聞く勇気がありません。
彼女がドイツ男性を裸にし、隣の私を裸にし、その持ち物の立派さに場内にどよめきが広がり、「おー・ウタマロ」との声も聞こえ、日本の春画、あの男性器の大きさは誇張では無く写実で有ったのかと認識させる良い機会で有ったのですが、残念です。日本男子として忸怩たる思いにさせた出来事でした。
また、これがラーメン鈴木さんとの思い出となると、真っ先に思い出す事です。
- Newer: 唐組・第71回公演『透明人間』
- Older: 新派百三十五年記念 六月新派喜劇公演『三婆』
Comments:0
Trackbacks:0
- Trackback URL for this entry
- http://hayashi-seiichi.com/wp-trackback.php?p=16388
- Listed below are links to weblogs that reference
- 島崎藤村の世紀 ―〈編集〉する/される作家 春の特別展 from Seiichi Hayashi Art world