漫画史の先達、清水薫氏が引いた骨太の漫画表現史=笑いに、若手評論家、斎藤宜彦氏が挑んでいる。
欧米では漫画史の背骨は、レオナルド・ダ・ピンチの外界の観察から続く新たな自然界の発見となっていて、絵画と同じ発達史に組み込まれている。
それは概ねコマ絵の写実度であり、それにつれて物語も精度と密度を高めている事は、拙著『Ph4,5グッピーは死なない』でも書き記していて、欧米の漫画史は、日本の清水氏の「笑い」を中心に置いた歴史観と大きく違っている。
それが大きく揺らぐのが『コマ絵の写実度』が上がる『劇画』の誕生であり、リアルになるほど笑いが薄れて行く時代の『笑い』を斎藤氏が格闘していて、谷岡氏や山上氏の笑いを取り込んで、時代による笑いの質の変化を書いている。
欧米に於いても近年の漫画評論は、漫画を成り立たせている構造に向けられ、ティエリ・グルンステン氏の『マンガのシステム』などを読むと、さほど漫画の「コマ絵」の表現力は作品に影響を与えないと言うような事を記している。
ヨーロッパで漫画が注目され、評論の対象として見られるようになったの70年辺りではないかと思うが、漫画を特集した雑誌にフランスの批評家だと思うが、漫画についての小論を載せていたと記憶している。評論家の名は失念しているが、小論に目を通した私は、これは凄い評論だと驚いたことを憶えている。
今までの美術評論家も目に止めなかった絵画史から読み解く腕は、漫画評論の枠を超えた広がりを見せていた。今もこの評論を超える漫画論に御目にかかっていないが、ティエリ氏とこの評論家の間には、西欧美術史からの枝分かれとしての回路が有るか無いかの違いがあり、ティエリ氏のは美術史から分かれてきたその後の、成熟した漫画についての考察である。しかしやはりコマ絵は、コンピュータの絵画ソフトが発達しても、重要な役割を担っていると私は思う。
その続きで申せば、この巻に収録された私の『火の玉怨花』の「コマ絵」を評して斎藤氏は「ヘタウマ絵」へとつなげている。作者の私はうーむと頷くしかないようだ。
また収録作『火の玉怨花』を発表当時の二色刷りを再現している事に、編集諸氏の努力に頭を下げさせて頂く。
詳しくはここで。
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