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2012-12

『林 静一展』、衣がえしての新春スタートです。

期間 2013年1月4日~2月3日

会場 平田本陣記念館

11月より開いておりました『林 静一展』、展示内容を新たにしての開催です。
一度、来館された方も、別の角度から私の表現をお楽しみ下さい。

また、帰省された方々も、故郷での私の個展をお楽しみ下さい。

尚、海外に居られる方も、「ニューヨーク近代美術館」での、私の映像作品をご覧頂けると思います。「東京展」も始まり、ニューヨークは日本色に染まっております。

長いような短いような、人類滅亡の29日も何事も無く過ぎ、今年もあと1日となりました。
ホーム・ブログを訪ねてくだっさった皆様に、来年は更なる幸せが訪れる事を願い、筆を置きます。
良いお年を・・・・。

『林 静一展』詳しくは、平田本陣記念館まで。

有名人慈善絵馬展

恒例の絵馬展です。

今年は、下野土鈴の「巳」を描きました。

初詣に行かれたら、お立ち寄り下さい。
稲毛神社 1月1日~7日
川崎モアーズ7階、8階 1月9日~31日

報徳二宮神社 1月1日~7日
ホーム・ページからの入札は出来ません。落札通知は、2月10日頃だそうです。
来年1年の、家内安全のお守りに是非、落札して下さい。

絵馬はまとめて送りましたので、画像の絵馬と神社での展示作品が違う場合があります。
ご了承下さい。

ライアンさんから、妻の実家のインドに居ります。こちらは非常に暑いですとのメールが届きました。暑くてもよい、寒くなければと思う、寒波の日々が続く日本です。

『ガロCOM』(講談社刊)発売中

60年代の劇画ブームを牽引した『ガロ』と『COM』、両漫画雑誌の作品集です。

私は『赤とんぼ』が収録されております。

この作品から「竹久夢二の再来」と噂されるようになりました。

69年頃、朝日新聞、社会面トップに「あなたはガロ派かコム派か?」との見出しの両雑誌の記事が載りました。
この頃が、ガロブームの頂点だったと思います。そのブームの凄さについて書きます。
これは、フランスでの講演でも話しました。

69年か70年の青林堂の忘年会のことですが、指定された新宿の小料理屋の入り口の戸を開けますと、目の前に人の背中があって中に入れない。
玄関にびっしり若者が立っているのです。この若者達をかき分けて前に進むと、正面の廊下の奥から仲居さんが出てまいりまして、青林堂の宴会は2階手前の左の座敷だと告げ、靴は持って上がって下さいと忠告されました。
靴を脱いで2階へ上がろうと一階の廊下を見ますと、二列に若者が奥まで並んで座っておりました。また、上ろうとした階段、一段、一段に、これまた、若者が二人づつ、階段を腰かけ代わりに座っておりました。

何か学生達のサークルの集まりでもあるのかなと思いながら2階へ上がると、ここもまた、廊下の奥まで若者が2列になって座っており、忘年会の座敷の襖は開かれていて、座敷の壁に若者が2列になり、宴会を取り囲むように座っておりました。

私は手招きする長井社長に歩み寄り、これは何ですかと問い質すと、長井さんはニヤニヤして、私にも判らないと小声で答へ、周りの若者達から、あれが林静一か?との囁く声が聞こえて参りました。
若者達が囲み、無言で見つめる中での忘年会、後にも先にも、この様な忘年会を体験したことは御座いません。
インターネットも無い時代に、ガロ忘年会の情報をどうやって聞きつけ、集まってきたのか、今も謎です。

COMに書きました、20代の頃のエッセイも収録されております。
手塚治虫さんとは、私の師匠、月岡が手塚さんのアシスタントで、石ノ森さんと同期でしたから、10代の頃にお会いしております。ガロかコムか、と言うより、両方共、繋がりがあった作家が居たということです。

20代で書いた文章、読むのには勇気がいります。でも、アイドルでも無いのに、若い頃に脚光を浴びることは、そう、誰もが体験できることではないので、良い青春だったと思っております。

手に取りたい方はここ

 

柴田哲孝著『狸汁』(光文社刊)

装画です。

詳しくはコチラで。

『朝日チャリティー美術展・大阪展』開催

会期 12月22日~24日

会場 高島屋大阪店(なんば高島屋)7階グランドホール

来年の干支、下野土鈴の巳を、「たとう紙」に描きました。
今年の告知は未だのようですから、昨年のチャリティー美術展のページに繋げました。
讀賣さんはもう、来年のチャリティー開催告知を出しているのですが・・・。

詳しくは昨年のページへ。
会期はこのブログに書き込んだ日時が正しいと思いますが、予定となっておりますから、まだ判りません。

『俳句界』12月号特集、『有名人著名人に聞いた、私の好きな一句』

月刊『俳句界』に、好きな俳句一句を選びました。

一句を選べとは、選者泣かせの難問です。
芭蕉、一茶、蕪村などの句は出てきますけど、改めて好きな一句と問われると、うーむと、考え込まざるをえません。
そこで、高濱虚子の「もの置けば そこに生まれぬ 秋の陰」を選びました。
絵心の着眼に、琴線が鳴りました。

嵐山氏の八重洲ブックセンターにてのグループ展に句と絵の作品を出品したりしましたが、句会に誘われるのは苦手です。
ところがある日、俳句の先生と飲み屋で同席することになり、その場が句会へと変わり、一句、ひねり出さなければならなくなりました。
讀賣新聞の若手記者と二人でひねり出すのですが、お粗末な句しか思い浮かびません。早く句会から、元の飲み会へと戻ってほしいと、切に願わずにおられませんでした。

詳しくは『俳句界』ホームへ。

小雑誌『クリネタ』「カッコいい!60年代」にエッセイ寄稿。

70年代の初めに、作家の方々が既成の出版社企画ではない雑誌「面白半分」を立ち上げた。題名通り、中々面白い企画が詰まった雑誌で、話題になった。

『クリネタ』はそれに似た、面白い雑誌である。

その特集「カッコいい!60年代」に文章を寄せている。

私と言えば、ある年代までの読者は、拙著『赤色エレジー』を自伝的作品と見做し、私の前半生と重ねて認識している方が多い。

そこでエッセイでは、東映動画への入社から、昼夜逆転したテレビ短編製作を経て長編班に原画として戻り、製作中止を機に東映を退社。
その後、虫プロの「ワンダー・スリー」の総監督として迎えられ、パイロット・フィルムの完成を待たずして師匠、月岡貞夫氏と日本テレビ報道局の総力をあげた、ゴールデン一時間番組の制作会社を立ち上げる。
その間に青林堂の漫画誌『ガロ』に投稿、1年後の22歳の時に佐々木マキと次世代の漫画家としてデビュー、その翌月、『週刊朝日』のグラビア・ページに取り上げられ、マスコミ・デビューをするまでを書き、『赤色エレジー』の主人公とは違う私の60年代の軌跡を辿ったつもりである。

外車で出来たての東名高速を走り、二十歳前にアシスタントを連れ、新宿ゴールデン街に飲みに行っていた話など、まぁ、カッコいい青春であったと思います。

詳しくは『クリネタ』ホームまで。

 

満蒙開拓青少年義勇軍の軌跡―満州に渡った少年たちー

会期 12月11日~3月10日

会場 平和祈念展示資料館

全国から集められ、満州に渡った少年農民兵の足跡を展示します。
子供が効率の良い労働力であることや、将来の生産の担い手として注目されたのは、この時が初めてではありません。人類の歴史上、古くから、世界中で子供は、質の良い労働力として生産現場に組み込まれておりました。
「疲れを知らない子供のように」と歌にも有りますように、現在も開発途上国では重要な労働力として認識され、重宝がられております。

チラシの裏のビラに有るように、往け!若人よ、云々とありますが、鈴木清順監督の「けんかえれじ」に、「狭い日本にゃ住み飽きた、○○○の満州へ」と街中で叫ぶ、白い麻の上下に真っ赤な革靴を履いた男が登場します。
当時のラジオ、ニュース映画では、どの様な呼びかけがなされたのでしょうか。
詳しくは「平和祈念展示資料館」まで。

 

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  • ロッテ 小梅だより
    ロッテのキャンディ『小梅ちゃん』のファンページ。『小梅ちゃん』のプロフィールやパッケージに展開されている『小梅恋物語』などを詳細に掲載しています。
  • 名匠雑貨店
    叙情画の匠が贈る雑貨店
  • 日本アニメーション協会
    林静一が所属する日本アニメーション協会のホームページ。
  • 林静一オフィシャルサイト
    オフィシャルサイトはこちら。
  • 菓匠三全
    林 静一が包装等をデザインする、仙台銘菓『萩の月』の三全のホームページ。
  • 青林工藝舎 アックス
    林 静一が南伸房、水木しげるらと審査員を務める 青林工藝舎「ax(アックス)」のページ。
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