70年代の初めに、作家の方々が既成の出版社企画ではない雑誌「面白半分」を立ち上げた。題名通り、中々面白い企画が詰まった雑誌で、話題になった。
『クリネタ』はそれに似た、面白い雑誌である。
その特集「カッコいい!60年代」に文章を寄せている。
私と言えば、ある年代までの読者は、拙著『赤色エレジー』を自伝的作品と見做し、私の前半生と重ねて認識している方が多い。
そこでエッセイでは、東映動画への入社から、昼夜逆転したテレビ短編製作を経て長編班に原画として戻り、製作中止を機に東映を退社。
その後、虫プロの「ワンダー・スリー」の総監督として迎えられ、パイロット・フィルムの完成を待たずして師匠、月岡貞夫氏と日本テレビ報道局の総力をあげた、ゴールデン一時間番組の制作会社を立ち上げる。
その間に青林堂の漫画誌『ガロ』に投稿、1年後の22歳の時に佐々木マキと次世代の漫画家としてデビュー、その翌月、『週刊朝日』のグラビア・ページに取り上げられ、マスコミ・デビューをするまでを書き、『赤色エレジー』の主人公とは違う私の60年代の軌跡を辿ったつもりである。
外車で出来たての東名高速を走り、二十歳前にアシスタントを連れ、新宿ゴールデン街に飲みに行っていた話など、まぁ、カッコいい青春であったと思います。
詳しくは『クリネタ』ホームまで。
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