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『浅草文芸、戻る場所』

期間 9月1日~10月6日

会場 日本近代文学館

 

『戻る場所』とは意味深な言葉です。

浅草を描いた小説と言えばノーベル賞作家、川端康成の『浅草紅団』が有名です。不良少年少女が織りなす浅草の裏社会、娼婦ありのポン引きありのと言うと現代の新宿、歌舞伎町の話しではないかと若い方は思われますが昔、浅草は華やかな歓楽街だったのです。浅草ロックと言えば映画館が立ち並び、日本一早く洋画が封切られた繁華街でした。

それが敗戦後、若者を引き付ける街は銀座に移り、銀座みゆき通りの『みゆき族』が脚光を浴び、同時に『六本木族』も脚光を浴びます。浅草紅団と同じく『六本木野獣会』が新しい流行を生み出す若者集団になります。

チラシ-1

その次は『原宿族』です。

しかし原宿は今の様な若者が集まり若者向けの店舗が並んだ街では無く、当時は静かな住宅街でしたから、そこへ休日となると若者が押し掛けたからたまりません。静かな住宅街をぞろぞろ栃木、茨木、湘南、千葉、埼玉から駆けつけた若者が列をなして夜遅くまで歩いておりました。

原宿通りには護送車が並び、列をなして歩く若者を刑事、警官が尋問し、二十歳未満だと護送車に乗せて親元へと送り返しておりました。今思えば、アメリカなどの外国から入って来る若者文化を若者が体感する場所が無かったのですね。今で言うクラブですか、そういった踊る場所も無く若者は悶々としていたのでしょう。

それから若者が集まる場所として『新宿』が注目され、その頃の学生運動も新宿をターゲットとし、『新宿騒乱事件』を起こしております。

テレビも木島則夫ハプニングショーの番組にて、新宿コマ劇場(この劇場は日本一の客席数を誇ったが2008年に取り壊され、現在は新宿東宝ビルとなり、屋上に居るゴジラが外国観光客の人気を集めている。)前の広場から「今日は何が起こっても不思議ではない、新宿、歌舞伎町からの生中継です」と興奮気味に語り、その生放送を見た視聴者が歌舞伎町に詰めかけ、コマ劇場前は人人、人の波で、アナウンサーの木島さんは群集に埋もれ、見ていても身の危険が感じられました。マス大衆の怖さです。

其れでですか、テレビの生中継は問題があると、テレビ自身が生放送を自粛し始めたのもこの辺りではなかったかと思います。新宿も思春期でしたが、そこに台頭してきたメディア『テレビ』も思春期を迎えた時代でした。この後テレビは、局内へ入るのも、受付にて氏名を記帳してからでないと入れなくなってしまいました。

その後は『下北沢』『阿佐ヶ谷』『吉祥寺』に移ったのと『渋谷』へ移ったのと有り、どちらもファッションが中心ではないでしょうか。

それからは其々の街が独自の変化を見せ発展し、スポット、話題を集める街は「住みたい街・ベストテン」のような不動産業界営業物件説明書のようになってしまいました。

そこへ『戻る場所は浅草』とは意味深です。100年程の長さで物事を見ますと、ようやっと流行の癖やら特徴などが浮かび上がるように思えます。

結構、人生100年で見えてくるものが有ります。長くはありません。

 

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