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「大阪空襲と戦時下のくらし モノが伝える戦争体験」

ウクライナのアニメ作家や映画祭関係者たちから、助けを求める声が届いております。
ASIFA 本部では、ウクライナの人々、特にウクライナのアニメーション関係者と心を一つにするべく、公式サイト asifa.netに 2つの請願書を掲載しました。 アニメ、映像関係者で無くとも、請願書にサイン出来ます。 オタワ映画祭のディレクター、クリス・ロビンソン氏による請請願書です。

https://asifa.net/international-animation-community-stands-with-ukraine/

このページ冒頭の、「SIGN THE PETITION」をクリックすると、以下の請願書サイトが開き、署名することができます。

ウクライナのアニメ協会の請願書ページです。

ウクライナを応援したい高校生もサイン出来ます。

ウクライナの平和の為、映画祭が2022年、ロスアンゼルスで開かれました。

ウクライナのための平和 – この戦争は悲劇です。この戦争は犯罪だ。この悲劇とこの犯罪は止まるでしょう。 (peaceforukraine.org)

International Animated Film Festival KROK – ホーム | Facebook

ロサンゼルスの MiMoDa Studioにて、2022年、8月26日、27日、28日の3日間上映されました。

各国で開かれる予定です。

ロシアのアニメーターがウクライナの平和を呼びかける(2月24日開始) – ASIFAロシアのアニメーターも、ウクライナ侵攻に反対しております。


プーチンさん、西側の軍事評論家は、ロシアの兵器が25年に枯渇し、兵士も足りなくなると分析しております。

北朝鮮の兵士が参戦しているとのニュースを聞きますと、西側の評論家の推論は正しいのではと思います。

ロシアの若者は増々戦う気力を失くし、プーチンさんを呪う様になりますよ。

プーチンさん、我が国には『負けるが勝ち』と言う諺があります。語源を紐解きますと古来の中国兵法に在る言葉だそうです。ロシアも何処かアジアの血が流れている民族に思えます。

プーチンさん、如何でしょう。勝ち負けをハッキリさせず、『負けるが勝ち』と考え、吉田茂さんの様にノラリクラリとアメリカさんが言う事をかわした様にウクライナ侵攻をお止めになったらどうでしょう。


プーチンさんのインビュー映像が放映され、そのインタビューでプーチンさんは欧米がロシアを変えようとしている発言をしたそうです。

プーチンさんはKGB出身ですから旧ソビエト連邦を守らなければならないとの考えで動いていたことは、大分前から欧米の分析等で判っていました。

プーチンさん、資本主義社会をロシア人は体験したことが無いので、新しい社会を混乱として映りますから、プーチンさんがオリガルヒの新興財閥をクレムリンに呼び、恫喝し、過去の安定した社会を再現したと思います。

当時のロシア映画の中でも、女性記者ですか「スターリン」の様な人が出て来ないとロシアは良くならないと同僚と話す場面がありました。

資本主義に移行するなら中国の様に「経済特区」を国内に創り、徐々に国民に肌で資本主義社会を体験させなければならないでしょう。

あの当時、モスクワはどうなっていたのか、ロシアに住む日本人が青年が画像付きで私にメールを送ってきましたが、あの青年はどうなっているのでしょうか。


CDもUSBも、短くて10年の記録媒体だと言われており、作品はコンピータ本体に保存しなければと思いますが、アドビーの描画ソフトが古いと再生不可能となるのですかね・・・・。手書きの紙媒体や布地のキャンバスの方が長持ちしますか?

墨は100年と言われてましたが 古文書など和紙に墨文字も100年以上の物も、今も残ってますし、山水画なども残ってますね。

レオナルドさんの壁画『最後の晩餐』は以前、テレビで見ましたが、大分色が薄くなっていましたが、まだ大丈夫ですか?


我田さん、店を閉じるのですか?開店の時に顔を出したきり毎年、年賀でご挨拶をしておりました。

昨年、ジャムを作ってお送り頂き、有難う御座います。ジャムはパンやクラッカー挟んで食べるのが好きでしたが、お送り頂いたジャムの瓶の蓋が開かず、冷蔵庫で眠っております。

今年もジャムをお送り下さるなら、瓶の蓋はゆるく閉めて下さい。歳を重ねると瓶の蓋を開けるのもままならなくなります。

瓶の蓋を額から汗を流しながら開けようと頑張っていると、息子が「かして見なさい」と父親から瓶を取り、一捻りで瓶の蓋を開けてしまうと、この時、父と息子の立場が逆転する時と昔は言われていましたよね。そんな時期が来たのでせう。

手紙の最後に、農業は続けて行きますと書かれておりました。体に気を付けてお励み下さい。


「大阪空襲と戦時下のくらし モノが伝える戦争体験」

期間 4月22日(火)~6月29日(日)

会場 帰還者たちの記憶ミュージアム 企画展示コーナー

大阪は、50回以上の空襲があり、そのうち爆撃機B29が100機以上来襲した大空襲は8回。1945 (昭和20)年3月13日深夜から14日未明にかけての第一次大阪大空襲によって、大阪の中心市街地は一部を除いてほとんど焼き払われました。

第一次大阪大空襲から80年。当時のことを知る戦争体験者が年々少なくなる中、ピースおおさかには寄贈された多くの資料が残されています。

今回の交流展では、ピースおおさかが所蔵する写真や実物資料などを展示し、当時の大阪の街の姿、人々の生活状況などを紹介します。(ホーム紹介文より抜粋)

https://www.heiwakinen.go.jp/kikaku/20250304-1100/


東京ばかりではありません。各地にB―29が飛来し、焼夷弾を落としました。

当時、米軍爆撃機は日本本土に飛来するのは難しく、折り返して基地に帰るには燃料が足りず、尚難しかったと聞いております。

それを可能にした戦いが『ミッドウェー海戦』ではなかったかと思いますが、この海戦は日本側では戦後、二作だったと思いますがTVドキュメント作品があり、米国のドキュメンタリーが一作品あります。

その日本側のTVドキュメントで述べている敗因の一つは、レーダーに関知しない部分があり、日本側が気付かぬ内に米軍機の飛来を招き、日本艦隊の全滅を招いたとありました。

もう一つは昼時の米軍機の来襲で、日本側は昼飯の時間帯で乗り組み兵士は食堂室で食事をしていて気づかず、全滅したとの解釈でした。

アメリカ側の制作した『ミッドウェー海戦』は、ミッドウェー島から飛び立った米軍偵察機が海上偵察をしていて、偶々日本艦隊を発見し基地に伝えるか考えるも面倒になり、米軍三機ほどで日本艦隊に挑み日本海軍を全滅させたとなっております。

この米国の映画を見ましたが、戦闘機は魚雷を積んではおりませんでしたから、我が国の神風特攻機より少ない、機銃掃射のみで日本艦隊に向った事になります。

戦争の勝敗が決まった後に作られる映画とは、こうも描き方が違うのかと実感する体験でした。


今日も風が吹いているが、昨年から冬の北風ばかりでは無く、季節を問わず強い風が吹くようになったのが、気にかかっている。子供の頃、目にゴミが入って困っていた記憶があるが、また風が強く吹くようになっている。

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