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川俣正「アパートメント・プロジェクト」 1982-86 ドキュメント展

ウクライナのアニメ作家や映画祭関係者たちから、助けを求める声が届いております。

ASIFA本部では、ウクライナの人々、特にウクライナのアニメーション関係者と心を一つにするべく、公式サイト  asifa.netに 2つの請願書を掲載しました。

アニメ、映像関係者で無くとも、請願書にサイン出来ます。

オタワ映画祭のディレクター、クリス・ロビンソン氏による請願書です。

https://asifa.net/international-animation-community-stands-with-ukraine/

このページ冒頭の、「SIGN THE PETITION」をクリックすると、以下の請願書サイトが開き、署名することができます。

ウクライナのアニメ協会の請願書ページです。

ウクライナを応援したい高校生もサイン出来ます。

 

ウクライナの平和の為、映画祭が2022年、ロスアンゼルスで開かれました。

ウクライナのための平和 – この戦争は悲劇です。この戦争は犯罪だ。この悲劇とこの犯罪は止まるでしょう。 (peaceforukraine.org)

International Animated Film Festival KROK – ホーム | Facebook

ロサンゼルスの MiMoDa Studioにて、2022年、8月26日、27日、28日の3日間上映されました。

各国で開かれる予定です。

ロシアのアニメーターがウクライナの平和を呼びかける(2月24日開始) – ASIFA

ロシアのアニメーターも、ウクライナ侵攻に反対しております。

 

穀物の輸送が問題になっている様ですが、値段は少し上がるが川からの輸送の話がまとまりつつあると聞いたのだが・・・。

戦況が長引くと言われていたから、ヨーロッパを通る陸路での運送を考えておかなければならなかったでしょう。

此処でもプーチン氏は制裁の問題を口にしていたから、色々、不都合な事がロシア側にも考えられるのだろう。だから制裁なのだが・・・・。

この程度でギャーギャーわめく様では、ウン十年も制裁を受けているキューバに対して失礼ではないか。それともオムツ姿で国際法廷に立ちますかプーチンさん。

プリゴジンさんが、ウクライナ侵攻から撤退と発言していたようだ。

辞めた方が良いと思う。まずお金です。武器も寄こさないのだから、報奨金も知れている。そんな条件で部下を戦わすわけにいかない。戦う者は食わなければ戦えず。

プリゴジンさんの贅沢な屋敷を捜索するなら、ロシア国営テレビよ、プーチンさんの豪邸も放映しなさい。

世界や国民を騙す番組を流すようでは、テレビ局に骨のある奴は居ないようですね。報道局、ゲリラ作戦を考えなさい。

プリゴジンさんがロシア軍から冷遇される経緯は、ユーチューブの過去のNHKドキュメントから推測出来るでしょう。

旧ソビエト軍が崩壊の危機にあったことを、NHKドキュメント作品は映像に記録しておりました。この頃からロシア軍は2派に分かれていたのですね。
ソビエト軍が無くなれば、私達が食べて行くことが出来ないとの、率直な意見を言う兵士をカメラは捉えております。

このドキュメント作品が放映された頃の私達は、今の私達を知らないわけですから、何とも不思議な気分になります。時間は過去に戻りませんが、近過去のドキュメンタリーは、私達を過去へと連れ戻すことが出来るのです。

社会主義が崩壊したといっても、自由と民主主義の国家になるためには、近くは敗戦後の日本の様にアメリカが駐留して、指導しなければ出来ない事です。

今もロシアにはソビエト時代の残滓が多くあり、いや高級官僚や役人に学校教育等、何も変わっていないかもしれませんよ。ドキュメント『不滅のロシア』で小学生が銃の分解と組み立てをしてましたから、地方では射撃練習も教科に入っているかもしれません。

Z世代がスマホで世界のファッションや音楽を浴びて、その子供世代になって変わり始めるのかもしれません。

 

川俣正「アパートメント・プロジェクト」 1982-86 ドキュメント展

川俣

会期 7月7日[金]- 9月7日[木]

会場 GALLERY A4(ギャラリー エー クワッド)

Gallery A4 (a-quad.jp)

川俣正は、1982年ヴェネチア・ビエンナーレ日本代表に選出され、28歳の若さで国際舞台に躍り出ました。

帰国後はアパートの一室などの生活空間を作品発表の場に変え、日常的な空間の位相からの“KAWAMATA”美術を立ち上げます。

本展は「TETRA-HOUSE 326 PROJECT」(札幌)を主要作品とし、1982-86年の各地でのアパートメント・プロジェクトの全貌をドキュメントとして、川俣正による会場構成で紹介いたします。(ページ紹介文より抜粋)

 
現在は建て替えられた建物があるが、私が原宿へ下りたのは当時「原宿族」なる若者たちが集まる場所として「原宿」が注目され、マスコミによって喧伝されていたので、新宿と渋谷の間に在った原宿に興味がわき、いつもなら降りることの無い駅だが降りてみようと思い立った。

原宿に降りて印象に残ったのは、若者が集まる街としては静かで、マスメディアの報道に釣られて降りた群馬、栃木、埼玉、千葉の若者ばかりが目立つ静かな住宅地であった。

メディアが発する『若者族シリーズ』の最初の『みゆき族』が銀座だから、華やかさにおいても今一つと思った。

そこで目立った建物が「青山同潤会アパート」で、当時の本には関東大震災で被災した人々に住む場所として、火災に強い鉄筋の集合住宅と建てられたアパートで、従来の木造モルタルで建てられた民間のアパートとは違い、何処かモダンな建物として印象に残った。

岩波書店刊の『世界』で始めた『なつかしさの原景』で取り上げようとしたが、其の頃には同潤会アパートは老朽化が進み取り壊しに入っていて、残念ながら取り上げることを断念した。

しかし『アパート』と言う言葉は、私の中で住宅公団が敗戦後の住宅困窮者に与える『団地』とは異質なレトロ・モダンな建物として今も心に残っている。

中庭の在る西欧的な都会のアパートは建てられないのかと当時、建築家の方に聞いたことがある。

中庭を造ると、それを囲む家々の住人が自分の住まいの延長空間と認識し、ベランダを拡張したり、菜園の庭を造ったりと、住人皆の空間である事を忘れる傾向が日本人には有るらしく、長方形の現在建っている建て方になったのだと話された。

ベルリンでも日本と同じ並んだ団地を見たが、壁面の色が団地の間を通る歩道に植えられた並木の紅葉の色と同じで、暫くは団地だと気づかなかったほどだ。

「あー、美しい団地だと」その時、思った。

 

 

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