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企画展 「言葉は海を越えて 収容所と日本を結んだ葉書」 Ⅱ期:残されし者たち[1952-1956]

ウクライナのアニメ作家や映画祭関係者たちから、助けを求める声が届いております。

ASIFA本部では、ウクライナの人々、特にウクライナのアニメーション関係者と心を一つにするべく、公式サイト  asifa.netに 2つの請願書を掲載しました。

アニメ、映像関係者で無くとも、請願書にサイン出来ます。

オタワ映画祭のディレクター、クリス・ロビンソン氏による請願書です。

https://asifa.net/international-animation-community-stands-with-ukraine/

このページ冒頭の、「SIGN THE PETITION」をクリックすると、以下の請願書サイトが開き、署名することができます。

ウクライナのアニメ協会の請願書ページです。

ウクライナを応援したい高校生もサイン出来ます。

 

ウクライナの平和の為、映画祭が2022年、ロスアンゼルスで開かれました。

ウクライナのための平和 – この戦争は悲劇です。この戦争は犯罪だ。この悲劇とこの犯罪は止まるでしょう。 (peaceforukraine.org)

International Animated Film Festival KROK – ホーム | Facebook

ロサンゼルスの MiMoDa Studioにて、2022年、8月26日、27日、28日の3日間上映されました。

各国で開かれる予定です。

ロシアのアニメーターがウクライナの平和を呼びかける(2月24日開始) – ASIFA

ロシアのアニメーターも、ウクライナ侵攻に反対しております。

 

ウクライナ、だいぶ前にドニエプル川を渡ったとの報道が有りましたが、今は拠点を作るほどに強固な足場を築いているようです。

また、ロシアが後方へ下げた武器、弾薬庫などを攻撃する射程範囲に入ったと軍事研究家の発言もありました。

欧米からの兵器が続々とウクライナに届いておりますから、大攻勢を何時、どの様な作戦を仕掛けるのでしょうか。

それに依っては今年後半の世界情勢が変わるのではと言われております。

キューバの経済事情が更なる悪化をして、国民が海外へ脱出しているようです。

キューバへの経済制裁は長いですね。キューバ危機からですから、ロシアも制裁は今の処、効き目が無いと言われてますが、キューバの様に長くなると判りません。

私が個展でキューバに渡った頃にギャラリー関係者の方達に聞きますと、生活が苦しいと小声で話されました。昔はマヨネーズ料理を食べられたのにと述懐されるモスクワ市民の声が聞こえて来るようです。

メキシコで恒例の移民街道が人の群れで埋まっているそうです。トランプ氏が高い塀を作りましたし、今も残っておりますが、良い仕事にありつこうと必死です。

南米からの移民は15万人にのぼるそうですアメリカは。プーチンさん、大国は働く場所を求めて移民が押し寄せる国です。ロシアもそうならなければね。

ウクライナの子供を連れ去るなど、最貧国のすることです。

習さんロシアと同盟国などと言ってると、忽ちインドに抜かれてしまいますよ。

漢民族のナショナリズムと言っても国内外は、様々なナショナリズムで出来ているのです。発言には注意しなければいけません。

 

 

企画展 「言葉は海を越えて 収容所と日本を結んだ葉書」 Ⅱ期:残されし者たち[1952-1956]

収容所

会期 1月11日(水)~4月23日(日)

会場 平和祈念展示資料館 企画展示コーナー

企画展 「言葉は海を越えて 収容所と日本を結んだ葉書」 Ⅱ期:残されし者たち[1952-1956] – 平和祈念展示資料館(総務省委託) (heiwakinen.go.jp)

 

1945 年8月の終戦後、満州 (現・中国東北部)・朝鮮北部・南樺太(現・サハリン島南部)・千島にいた日本の軍人・軍属を始めとする約60万の人びとは、ソ連軍によりソ連(現・ロシア)やモンゴルへ連行されました。そして収容所(ラーゲリ)に入れられ、強制労働に従事させられました。その結果、約6万人が異国の地で命を落としました。この出来事は戦後強制抑留(シベリア抑留)と呼ばれます。

46年12月の米ソ協定の成立により、ほとんどの抑留者は’50年4月までに帰還を果たしました。しかし、日本軍や満州国の元高官、スパイ活動・ソ連研究・生物化学兵器の研究に関与した人など、2千数百人はソ連の一方的な「裁判」で「戦争犯罪人 (戦犯)」とされ、’50年以降も引き続き抑留されました。

そうした長期抑留者と呼ばれる人びとは、何年にもわたって家族との連絡を禁じられました。’52年4月にようやく「郵便葉書」と呼ばれる専用の往復葉書のやり取りが認められると、最終引揚船が出る’56 年末まで、家族や友人と何十枚もの葉書を交わしたのです。(ホーム紹介文より抜粋)

 

1973年、金 大中氏が赤坂ですか、ホテルから拉致され、神戸から工作船に乗せられ船上で殺害されるのを自衛隊機に見つかり、一命を取りとめる事件が有りましたが、その時は平和ボケの日本、日本は世界のスパイにとって格好の活躍場所と言われ放題でしたが、今回のロシアのウクライナ侵攻で日本の空気は変わりました。

北朝鮮へ連れ去られた日本人拉致被害者なども、北朝鮮工作員の動きを察知して居れば、いまだ解決の糸口が見えない問題にはなっていないと思うのだが・・・・。

今も日本は、スパイにとって天国なのでしょうか。

70年代に出版された本と記憶しておりますが、主にイギリスとアメリカで活動していたスパイの話が載っており、ごく普通の主婦がロシアのスパイで捕まり、スパイになった理由が面白くて記憶しております。理由は家庭の主婦は平凡な日常で詰まらなく、スパイになってスリル満点の日常を過ごしたかったとの事です。『007』の見過ぎでは・・・。

また、NASAに勤める研究員は、重要な機密資料を盗みロシア工作員に渡していたそうですが、これも理由がスパイらしからぬもので、妻の浪費癖が凄くNASAの給料では生活が苦しく、ロシアのスパイに資料を売って生活費の足しにしていたそうです。

筆者はこの様な善良な市民がスパイに成ることも有り、自分が重要なスパイであることをロシア側に認識させる為に、情報をオーバーに伝えることも有るそうです。

日本に居るスパイは、毎日どんな活動をしているのでしょうかね。私はロシア側のスパイだったといった本を出せば売れるかもしれませんよ。

ユーチューブ動画への書き込みで、「なんで皆、ウクライナの味方をするのかねー・・・。」なんて書き込みをする人、本を出せば売れますよ。『私はロシアのスパイだった』と・・・・・。

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