今年も残すところ後わずかです。
コロナ騒動で明け暮れた一年と言っても、過言では無いでしょう。
密な場所への外出を控えるようにと務め、巣ごもり状態となり、酒飲みは酒量が増えアル中患者が増しているのではないかと、煙草の本数が多くなった私が紫煙の漂う仕事場で心配するのも、コロナ流行の時代でしょうか。
冷やし中華ありの看板が出る季節になっても、外出して良いものか戸惑う日々であった。
それでも毎年、季節になれば口にする「うな重」は食べなくてはと、戒厳令下の街中を忍び足で歩き、のれんを分けて「ウナギ」を口にした時の喜びは格別であった。
「肝焼き」とビールをのど越しに味わうひと時は、日本に生まれて良かったと思う。
『コロナ圧』は食事に強く働くようで、朝食はパンに生ハムを挟むか、トーストにブルーチーズを乗せるか、昼には「皿うどん」食べたいだのと、頭を巡るのは食のことばかり。
そんな折、春に古都へ伺う約束をした山本氏からのメールで、県外への行き来が出来るようになりましたと、旅への誘いが届く。
もう、画像を見れば何弁か駅弁オタクには判る例の弁当だが、生憎、冷めたシュウマイと冷たいご飯ではないが、口に運び旅情を楽しむ事にした。
弁当ついでに話せば、故鈴木清順監督の作品に、『幕の内弁当』のカットが有った。
清順監督に、東京っ子の「食」作品を撮ってほしかったと思う。暖かな汁の蕎麦を食べる時、清順さんの顔が浮かんできてしまう・・・。
目を前の座席へ移せば、円い突起が目に入り、右に左へと揺れる車内を歩く人の安全を考え、これが日本流のお・も・て・な・しであろうと、細かい心遣いに口元がほころぶ頃に山本さんが待つ京都へと着いた。
山本さんの案内で『高台寺料亭 十牛庵』へと向かう。
京都は新幹線が開通して、何度も通った街で、「何故にあなたは京都へ行くの?」の歌謡が街に流れる時代であった。
古い町並みをどの様にするのか、東京はその後を追いかけていたように思えた。
奥に深い町屋に若者や外国の方が住み、坪庭はまるで外国に在るアパートの中庭のように四季の花を植え、蔵はパン屋や喫茶店、ライブハウスに見立て、古い建物を壊さず住む京都人に若者は拍手を贈ったのである。
通された座敷は、昼間であれば京都の街並みが見渡せる座敷で、客は私達二人であったが、京の都に相応しい夜となった。
鱧の季節を過ぎてはいるが、板前の包丁さばきに京都地酒が身に染みてゆく。
コロナ、来年も地球にはびこります。
気を付けませう。
- Newer: 美食に魅せられて京都―2。
- Older: 結城座公演『明日またタクボク~雲と劇場~』
Comments:0
Trackbacks:0
- Trackback URL for this entry
- http://hayashi-seiichi.com/wp-trackback.php?p=11653
- Listed below are links to weblogs that reference
- 美食に魅せられて京都。 from Seiichi Hayashi Art world