石川県立美術館で開かれております『ビアズリーと日本』について、『北陸 中日新聞』にエッセイを寄稿しました。
内容は、ブログに前回載せました「印刷メディア」により、より広範囲の人々に届けられるようになった「本」の挿絵についてですが、日本についてはエッセイの後半で少しふれておりますように、鏑木清方の「卓上芸術論」辺りから、日本では展覧会へ出すバカデカい作品では無く、机の上に収まる小さな絵、挿絵に注目が集まり、鏑木自身、作家と挿絵の相談をしている絵を描いておりますから、鏑木が通った泉鏡花のサロンの一員で資生堂デザイナーであった小村雪岱の活躍は、当然と言えば当然の事でせう。
戦後になりますと、印刷メディアで活躍したと言えばデザイナー横尾忠則さんが真っ先に思い浮かびますし、柴田錬三郎原作の『うろつき夜太』の挿絵は、江戸期の黄表紙スタイルのレイアウトで構成され、戦後、挿絵史の金字塔であると思いますし、横尾氏の三島氏と組んだポスターに代表されるアート作品は、印刷技術に熟知した傑作と言っても過言ではありません。
その他にはデザイナー杉浦康平さんの『銀花』などが、墨版、赤版など色版を加工し重ねる印刷技術で、アート作品と呼んでも良いでしょう。
漫画家は自身の作品がどの技術で再現され、読者の手に届けられるのか、原稿を描くのに熱中し、あまり意識していないようです。
私は映像業界にいましたから、画像を加工する事は日常茶飯事で、漫画を描く事になってからは印刷メディアに注目し、度々、作品の中にモノクロを反転したネガ画像を使っておりますし、当時の漫画には「アミ」というグレー諧調がモノクロのペン画に載せてありましたが、この製版は「ジンク版」印刷と言い、あの当時、燐寸のラベルや果物の木箱に貼るラベルに使われていた印刷技術で、その話を青林堂社長の長井さんから聞くと、これで作品が出来ないかと、私は作品集に描いた『花に棲む』で実験しました。
偶然ですがカラー漫画の先達「リトル・ニモ」と同じ、リトグラフ仕様漫画ということになります。
現在は漫画原稿をデジタルで仕上げる作家は多いですが、拙著『夢枕』では、立体をコマ絵に平面描画と一緒にはめ込んであります。立体画像とそれほど意識されずに、他の平面描画のコマ絵と並べられた事に満足しております。
金沢駅に私の電飾広告があります。何処に在るのか探してみても良いかと思います。
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