- 2020-12-05 (土) 14:18
- お知らせ
外国に住むのは中々、大変な事があります。
このシリーズは、これからアメリカに住んで学び、働いてみたい若い人への情報本として、ピントが合っていますよ。
フランスのアヌシーへ行かれたのですね。
私も80年代に、アニメ協会会員とマスコミの方々と参りました。
セルッティなどのブランドが出店している高級リゾート地ですから、モンブランがそびえ、古城が湖に影を落とす絵葉書の様な避暑地です。
湖の辺に建つ藤棚があるプチ・ホテルは、泊まってみたいものです。
各国が映画祭初日からパーティを開きますが、初日の我が国が開いたパーティには、世界第二位の経済大国への関心から、多くの国の人々が詰め掛けました。
何と、国際的な著名作家で『アニメーション』の著作もあるジョーン・ハラス氏が私の処へ歩み寄り、「あなたの国は経済活動に熱心のようだが、文化的な活動には熱心ではないのは何故なのか?」と訊ねられてしまい、日本列島の横穴に住みつき、戦争に負けもしたが、漸く総中流なる生活に皆が豊かさを享受する時代になったのですから、これから100年程、見て頂かないと思いつつも、パリ万博にアート作品を送れと言われても『アート』の意味が判らず当時の日本人は困ったと、若き学者氏の著作にありますから、「江戸時代から見て頂かないと」と言葉を濁したが、ハラスさんがどれ程、日本文化への教養があるのか判らないので、会話は途切れてしまった。
今であったら何時間でも対話してみたいが、ハラス氏はもうこの世に居ない。残念であるし、その後、宮さんのアニメ作品もアヌシーに出品されているし、当時も久里洋二氏の作品を見ているはずだから、日本のアニメ水準は、お判りだと思うが・・・イギリス人特有の婉曲な言い回しで、何かを言いたかったのかもしれない。
先日、NHKでアメリカのコント・タレントに挑戦している日系アメリカ人を追った『キング・オブ・コント』を見たが、アジア系アメリカ人を『バナナ』と呼ぶ事を知った。
理由は、皮は黄色だが、中身は白色になっている処から来るらしく、外見はアジア人だが中身は白人と言う意味で、中々、上手いネーミングだと思ったし、アメリカに住んでなくとも中身が白いアジア人は多いと思います。
これがアジア人の主体性の無さを皮肉ったジョークだとしたら、ドキュメントの主人公、サク君のように、「俺は皮も黄色で中身も黄色のレモンであり、アジア人としての主体を持ったアメリカ人である」となるのだろう。
ヒロシさんが食べ歩く番組で、「探す食堂を街歩く人に訊ねると、皆、母国語で答えるのに、日本人は喋れない英語を使おうとして、シドロモドロになるのは何故だろうか?」と、ポツリと疑問を発っしていた。
ヒロシさんの日本人への疑問は、明治のお雇い外国人の一人、クラーク博士も気付き、日本民族の不思議さを書いている。
これもNHKの番組『クール・ジャパン』からだが、観光立国を目指して商店街の人々が英語を必死に覚えようとしている映像を見て、番組に集まった外国の方々が素晴らしい事だと褒めていると、司会者の鴻上さんがムッとしたのか「で、あなた達、日本語、喋れるの?」と切り返し質問していた。
この位に日本人は、アジア人として自立しているようだ。
日本で活動する音楽家が、僕はアメリカ人でも白人でも無い。人間として見て貰いたい。と言っていた。確かにそれはあるのだが、誰もがその微妙さを手掛かりに付き合っているのではないか。
マルクスは最後は国家の解体を予言しているが、これも中々面倒なものが有る。
「初めに言葉ありき」と書く日本の作家の、始めの言葉は日本語ではないだろうか。
言葉の問題は更に面倒であるし、都市の風景は各国似て来てはいるが、風土と絡んだ文化となると、増々、統一は難しいし、それが人類の争いを起こす原因と言い切れるかと考えると、それも判断がつきがたい。
近藤作品。ネットで連載しても面白い。
写真とカットの絵を混ぜた、新しい表現の漫画作品である。
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