期間 10月28日~12月23日
会場 千葉市美術館
先日、亡くなりました原平さんの回顧展です。
昨年、ニューョーク近代美術館で開かれ、反響を呼びました『ハイレッド・センター回顧展』の後を受け、今回の赤瀬川原平個展です。
間違えたのではありません。表紙が逆さまです。
個展の前日に亡くなりました原平さんの通夜が、北鎌倉のお寺さんで行われました。
関係者のみのささやかな葬儀ですが、それ故にお別れの言葉が届いた葬儀でした。
不謹慎な感想かもしれませんが、御寺の庭を抜けて本堂に入る。何処かNHKのテレビ番組『ゆく年、くる年』を思い起こさせる通夜の晩でした。
まだ誰も死が身近に感じられなかった若い頃、誰言うとはなしに、この中で一番、長生きするのは原平さんだよねと、話していた事を思い出しました。
遺影に目を向けると、あのはにかんだ笑顔と共に、低く落ち着いた声で語りかけて来るようにも思えました。
原平さん、俗世での出会い、有難う御座いました。ご冥福をお祈り致します。
『赤瀬川原平の芸術原論展』カタログに、60年代の私との共作作品が載っております。
ピストルを描いたのが私で、このピストルは連続射殺犯の永山が使用したピストルで、改造銃です。
獄中の永山がこの絵を見て、何故、私の使ったピストルを知っているのだと、面会に来た弁護士に訪ねたそうです。何故かは、秘密にしておきませう。
もう一つは、70年に始まりました、現代思潮社の『現代詩手帖』の表紙絵ですが、現代詩手帖の文字が原平さんの作品です。この様なカットの仕事も細かくて、それは千円札を模写して0円札を作り上げる力に繋がっているのです。
実は原平さんは、私共夫婦の仲人なのです。当時、0円札裁判が始まっておりましたから、有罪になりますと、私共は犯罪者を媒酌人に選んだ事になりますが、三島さんの言葉ではないですが、犯罪と表現は隣り合わせですから、私共は心配はしておりませんでした。
その経緯や原平さんのお嬢様、桜子ちゃんなどと連れ立ち、旅行に行った思い出などを綴りました。
その旅行を8ミリで撮りました作品が三作品あります。いずれかの機会に上映したいと思います。
今回の個展の見どころ幾つかを紹介しますね。
0円札の制作の為に千円札を拡大し、それを手書きで描いた事が判りますし、当時の思想界を俯瞰した、伸坊さんとの合作作品に描かれている吉本隆明さん。この肩書を読まれると吹き出します。また同じ作品に、つげさんの『ねじ式』の主人公が描かれておりますが、これもよく見ますと吹き出します。
原平さんの作品には、密やかな大人の笑いが隠れております。それをご覧になるのも、原平作品を鑑賞する時の密やかな楽しみでもあります。
こちらの展覧会の方が先に始まっております。町田市民文学館の『尾辻克彦×赤瀬川原平』展です。
原平さんはマルチな活動をされた作家で、そこが若い表現を志す人に愛されるところなのですが、文字の世界でも各出版社の新人賞を総なめにし、芥川賞まで貰っちゃうだけでも開いた口が塞がらないのですが、その上に『老人力』でベストセラーを出し、流行語大賞にも選ばれてしまうのですから、開いた口の塞ぎようがないのです。
最後のお別れに御棺に横たわる原平さんの顔を見ましたら、原平さんもちょっと口を開けておりました。本人も口が塞がっておりませんでした。
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